2007年1月19日アーカイブ

わたしには、神戸の震災体験者のミクトモがふたりいます。
ひとりは 極々身近にいる 後輩の若い女優さんですが 彼女は今も、そのことを日記には勿論、フダンの暮らしの中でも語りません。
もう一人は、観客の一人でもある早百合さん。この方は折に触れ震災の話をなさる。
彼女の日記の一部と、書き込みをされたAさんのコメントの一部を引用させていただきます。
早百合.jpg この写真は、早百合さんの日記からパクリました。
今日は、12回目の 震災記念日です。
写真の花は 池の中に参列者が 一つずつ手にした 菊の花を  池に並べた所です。 この池の下(地下)に部屋があり 亡くなった 方の お名前が 6610人が 刻まれています。  工場の下敷きになり 生きたまま 焼け死んだ 知人の名前を手で 触り 毎年会話を交わして来ます!!。。

おいらは震災日の前年に 吹田から広島に転勤して 震災を避けられました。
今勤務している西宮北ICは そのとき 大騒ぎとなっていたのを覚えています。
そんな日から10年たって 復興した 神戸に転勤してきて 何不自由の無い生活。
幸せと思う反面 まだまだ震災の苦しみと戦い続けている人たちが  数知れず居られる事を聞くたび  悲しい思いにとらわれます。
亡くなれた方の冥福を祈ると供に
今も震災の苦悩と戦い続けられてる皆さんの
幸せを祈らずには居られません。
と書いた後に・・・・・  今日は、12回目の 震災記念日です。
・・・・・と付け加えている Aさんの文章(おわりの一行
からは 深いため息も聞こえたように思いました) 自分と同じ思いのひとなんだろう、と親近感を感じ (共感の色文字にして) 転載させてもらいました。

そして改めて 平和のこと・いのちのコトを 語り続けてゆく事の大切さと、難しさ を考えています。
あわただしく流れてゆく日々の中で、 どのような伝え方をすれば、 【 戦争と平和 ・ 震災や戦争で失われたいのち 】への わたしの思いが、観客の皆さまに共有してもらえるのか、語り合えるのかを考えています。
 心ならず 死んでしまった人のために 残された者はかたり続けましょ。いのちの大切さを。 語るのは難しくても、諦めないで・・・・!