2006年10月28日アーカイブ

昨日の日記へのコメントから、エンタティナーって言葉について話したくなったの。

わたし達俳優はいわゆる、エンタティメントを目指して
『自分の身体とこころを通過させた言葉を武器に、お客さまの心に飛び込み、感動という、心の高揚を商うのが仕事』だと思って、仕事をしてるのネ。


昨日の日記への書き込みにも
【私もshinjyoはあまり好きではなかったのに、テレビを見ているうちに涙が頬を伝わって、それからアイツを好きになりました。】

【他人がどう思おうが自分の信念、ポリシーを貫くと
それが他人のこころに沁み込むって言う感じ。
この日本シリーズで思いました。
新庄はまさにそれを実践した、いや出来たんですね。
頑固・偏屈と何が違うんですかね?Leikoさん。】

・・・との書き込みががありましたが、わたしの日記だけでなく、新庄の話題・感動したと書く人が多かった。

皆さんに【何故か?】って質問を投げかけてもらった感じで考えた事を、お話したくなったの。ふふ。

・・・感動。
これは『オトコの涙』しかも、試合途中からの涙なので、迫力もひとしおって訳ですが、【涙=感動】って単純ではない、と思ったのね。

・・・去年までの彼とは違っていたような気がするのは、わたしだけかしら?

【大好きな野球の楽しさを、多くの人に伝えたいから、努力する・皆も一緒に頑張ろうぜ!】って、行動が一貫していましたよね。
それが感動を生んだのでは?

『今年の新庄選手の仕事ぶりは、わたし達俳優と同じような考え方だったのでは?』って、考えたの。
(新庄人気に乗っかって、自分達の仕事に引き付け過ぎてる?!・・・・かな? あはは。)

彼の考え方は大リーグから戻ってからは、自分のためだけじゃなくなって、今までの積み重ねが、集約された結果が涙になり・感動を生んだと思いました。