黒柳徹子さんとの・・・・

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母の七回忌の法要のために、28日から愛媛県宇和島へ行きます。そのあと、歩き遍路もして・・・・10月4日まで、四国滞在の予定。
  黒柳徹子さんとのこんな写真をもっているのは、母のお陰(?!)だと・・・。
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「一人芝居じょんがら民宿こぼれ話」で、1990年度の芸術祭賞を受賞した折に、『徹子の部屋』に呼んでいただきました。日当500円でやとって(?!)いた、よしこさん(↑中央)の願いが叶い、収録のスタジオで記念写真を。ふふ。
2度目に『徹子の部屋』に呼んで頂いたのは、映画「Shallwe ダンス?」の後でした。
母は、脳梗塞の後遺症で杖をついて歩くようになっていましたので、遅刻!
でも、徹子さんは、マネージャー見習いの母を覚えていてくださったので、その日遅刻してスタジオに現れた母の映像も電波にのりました!

↓の母は、2度目の脳梗塞で、 車椅子に座り、言葉も話せない母。
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晩年の4年間を、第一級の障害者として過ごした母と何回か、蓼科へ旅をしました。

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コメント(14)

素敵な写真ですね。皆さんの笑顔についこちらも微笑んでしまいます。
Leikoさんの笑顔はお母様ゆずりなのですね。
お母様お幸せだったのでしょうね。
良い写真を拝見させていただいて有難うございました。

いっやぁ?二枚とも笑顔の素敵っ!!
徹子の部屋は大好きなので、殆ど観ていましたのぃ。残念!Leikoさんとお母様登場は観ていませんでした。あぅ?

あっ でも「一人芝居じょんがら民宿こぼれ話」は三上さん達と観に行きました。

お母様、素敵な笑顔ですね・・・

Leikoさんとの思い出を作って
お母さま、お幸せそうです。
小さい秋を見つけながら、お母さまを偲びながらのお遍路の旅になりますね。
どうぞ、お元気で。

最近、ようやく親のありがたさ、大切さに
目を向けることができるようになってきました。

今からでも遅くないと思っています。


本当に素敵なお写真ですね。

素晴しい笑顔のお母様。
車椅子でも旅行を楽しんでいらっしゃってステキですね。
お母様はきっとお喜びのことでしょう。
Leiko様いってらっしゃいませ。
心穏やかな日々となりますように☆

2年前に亡くなった母を思い出しました
88歳で脳梗塞 以来車椅子で5年間
でも、岡山から名古屋まで踊りに連れて行きました
母は乗り物が好きでしたから・・・

お母様とLEIKOさんの笑顔ってとってもよく似てらっしゃって、楽しい気持ちがこっちまで伝わってくるかのようです♪
「一人芝居じょんがら民宿こぼれ話」・・私、残念ながら観ていないのでとっても興味があります・・。
どんな感じのお芝居だったんでしょう。
こぼれ話っていうくらいだから、ちょっと明るい感じの舞台だったのかなあ??

お二人とも素敵な笑顔ですんね・・・
屋外(蓼科?)で撮られた写真は特に、楽しそうな微笑みが波動として伝って来るので、私まで噴出しそうになりました。
お母様の可愛らしさとLEIKOさんの優しさが、いっぱい詰まった一枚ですね・・・

  くま

写真を見た途端胸が一杯になって
涙が滲んでしまいました。
何でだろう・・・(^ー^* )フフ♪
お母様の笑顔がとっても素敵です。
勿論Leikoさんも徹子さんもv(*'-^*)bぶいっ♪

還暦を迎える歳になりますと、親に対する思いがめっぽう強くなるものです。

 子供の頃の母親との関わりが懐かしくもあり有り難くもありです。

 子供のような笑顔のお母様の表情が我が母親の顔に見えてしまいます。

 お母様との幸せそうなお顔いいですね。

お遍路さんですか・・・いいですね。私もいつか行ってみたいなと思っています。
四国には、おいしいうどん屋さんがいっぱいあります。

すてきなお写真ですね・・・

わたしも母のことをもっと考えないと・・・
ついつい、当たり前になってしまうんですよね・・・
そんなことに気づきました。
ありがとうございます。

皆さま、ありがとう。
それぞれに、お心をこめてコメントをしてくださっているのが、ひしひしと伝わります。
ほんとにありがと。

2度目の脳梗塞のあとの4年間は、手足が不自由なだけでなく、言葉もダメになってしまいました。
おおむねは、町田の養護老人ホームにお世話になっていましたが・・・・・皆さまのコメントから、その母を三日に一度訪ねていた、4年間の体験を思い出しています。

献体をしたので、亡くなってから3年後(’04年の8/9)の、火葬となりました。
明日からそんな母の故里に行きます。

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