石巻の魚市場

| コメント(3) | トラックバック(0)

東北大震災から5ヶ月半が過ぎました。これまで直視する勇気がなかった草村礼子は、9月1日被災地を訪れました。
ダンス仲間を激励したくて訪問した仙台で、夢のダンスのキャンペーン活動も無事に終えて、帰京する前に、ちいさな旅をした。
JRの不通区間はバスを利用=880円の、仙台?石巻の往復。
野蒜という駅の近くでは地元の方から『川底に人が沈んで居ないかと、棒を持った自衛隊の人が、一列に並んで探りながら前進したのよ。』との話を聞き、彼らのご苦労に感謝をしました。また、石巻駅からは、↓のように、歩道は陥没して水溜りになったいた道を、この4年間続けた<歩き遍路>の心境で、祈りを込め、ずぶ濡れになりながら歩きました。
P1040122.JPG
繰り返し見ていた、ニュース映像の【凄まじい被災地をのようす】を、この目で見てきました。
P1040125.JPG
これからの利用は無い、と思われるのに、今も尚、流された時のままの姿で存在する建物が多いので驚きました。復興は、これからなのです。
P1040127.JPG
石巻日赤病院の前には、電信柱にせき止められた中華ソバ屋さんの店が、今もそのまま!P1040117.JPG
岸壁近くには、復興のために働く人々の姿も見えますが、近くに見えるのは↓打ち上げられたままの壊れた船が!一刻も早い復旧を、と祈りました。
P1040136.JPG
野田総理、新しい内閣の皆さま、何より先に被災地の救済と、復興の手助けを、どうぞお願いします。心をひとつにして、成し遂げてください!

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://leiko.saikayou.org/mt/mt-tb.cgi/482

コメント(3)

礼子さん、お久しぶりです。
そうですか・・・石巻にいってらっしゃるんですね。
私も最近までそちらにてボランティア活動をしていました。
3月?5月は日赤病院近くの専修大学内にテント生活しながら、5月?7月は拠点を移しての活動でした。
瓦礫撤去が進んでいる地区もあれば、まだまだ手付かずの地区も。
自然の力のすごさを目の当たりにしました・・・。

遠く離れていると、あまりニュースなどでも目にする機会がなくなってきて、被災地のことを忘れられそうになりますが、
まだまだ多くの皆さんの力が必要です。
声を上げていく必要性を感じています・・・。

礼子さん、勇気を出して石巻へ行ってくださりありがとうございます!そして、
発信してくださってありがとうございます!!

☆むつみ☆

>たかすむつみさん、こんにちは!

久しぶりですね。元気ですか?
長い期間のボランティア、お疲れさま!
わたし、自分では殆ど何も出来なかったのに、貴女は今でもず?っと、被災地で活動をつづけているのかしらと、思っていたの。ふふ。

でも半年になるのですもの、自分の仕事もあるから、帰っていて当然よね。

この日は、石巻駅から魚市場まで、雨の中をずっと歩いたの。魚市場の周囲全てがダメになっている景色を心に刻んで、考えながら<復興のためにわたしにできる事はあるのかしら>また駅までトコトコ歩いた。

途中の松島海岸駅でも、2時間ほど歩いて、松島の景色を見ました。被害は少なくて、美しい景色が残っていました。
津波が押し寄せた日も、島が沢山あるので潮の流れも幾分和らいだのね。
でも、駅のすぐ前の海岸沿いは、かなりの地盤沈下があったのね。
潮が満ちてくると、海岸公園の芝生や藤棚の辺りまで、海水がジワジワときているの。『海が、わたしの足許まで迫って来ている!』と、恐ろしかったです。

両隣の町の被害を思うと、松島の無事な風景は奇跡的なのよね。

被災後、半年と云うことでニュースにも取り上げられています。
遅々として進まないのは政治の所為だ!「どうして、早くやらないの?」・・・と思っていましたが
早くと、攻め立てるだけでは、ダメなんですね。

復興計画が出されないと、取り壊す事も出来ない。復興計画の最初は、健康被害のないよう、壊す前には<アズベスト>の対策もある。
瓦礫にする前に、分別しないとならない。
ちいさな頭では思いつかなかった!

これからも、長い時間を要するわけですね?。
出てくるのは<ため息>のみのわたしにもできる事が何か、あるはず。
これからも考え続けたい。

コメントする